[著]神山典士(こうやま・のりお)
1960年埼玉県入間市生まれ。信州大学人文学部卒業。
96年『ライオンの夢、コンデ・コマ=前田光世伝』にて第三回小学館ノンフィクション賞優秀賞受賞。2012年度『ピアノはともだち、奇跡のピアニスト辻井伸行の秘密』が青少年読書感想文全国コンクール課題図書選定。14年「佐村河内守事件」報道により、第45回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)受賞。
「異文化」「表現者」「アウトロー」をテーマに、様々なジャンルの主人公を追い続けている。近著に『知られざる北斎』(幻冬舎)がある。
[監修]本多惠子(ほんだ・けいこ)
株式会社伊太利亜飯店 華婦里蝶座代表取締役社長。
1972年、カプリチョーザ創業シェフ・本多征昭と結婚し、78年に東京・渋谷に6坪の小さなイタリアンレストランを開店。
当時はまだイタリア料理が高級で、ごく一部の人たちのための料理だったが、本場の味を手頃な価格、たっぷりのボリュームで提供するスタイルで話題を呼ぶ。
「すべては、美味しいという笑顔のために」という情熱、創業者のレシピを受け継ぎながら、新しい美味しさを提案している。
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まえがき
第1章 カプリチョーザ40年、「美味しさ」の秘密
- 人気ナンバーワン、トマトとニンニクのスパゲティ
- 酸味の効いたドレッシングとオリジナル・ソース
- 驚きの裏メニューや、本場ローマの味「ライスコロッケ」
- 客席で大人気、驚きのピッツァ
- 食材の使い方、調理の魔法
- 創業のころ(1970年代)のイタリア料理
- カプリチョーザ大盛り伝説
- 行列伝説
- 料理業界ナンバーワン雑誌「月刊専門料理」に載った料理
第2章 本多征昭物語、その1
- 厨房のマジシャン
- 夢を持つ男~北海道で育ったイタリアへの夢
- 「損して得とれ」、母フテの教え
第3章 1960年代イタリア修業~国立エナルク料理学校
- イタリア料理修業へ出発
- トマトを使わないイタリア料理?
- 国立エナルク料理学校
- エナルク料理学校、その2~偶然の入学
- エナルクの実習風景
第4章 1970年大阪万博・イタリア館コックとしての凱旋
- 食文化新時代の到来
- イタリア館レストランで「輝いていた」料理人
- コックの青春
- カプリチョーザ開店まで
第5章 本多征昭物語、その2~本多を知る人々
- 吉川敏明さん~ライバルとして、親友として
- 「パスタの神様」が見たカプリチョーザ
- 野網大二さん~面接の日から今日まで
- 菅沼淳江さん~まるで姉弟のようなお付き合いで
- 早川哲さん~実の兄貴以上の兄貴だった
- 佐竹弘さん~料理は川さん、ビジネスは本多さんに学べ
- 勝又道則さん~週に一回は通った「青春の店」
- 鮎田淳治さん~エナルクはイタリア料理界の先生だった
- 三浦静加さん~カプリチョーザとともに築いた行列伝説
第6章 チェーン展開という冒険
- 凄く美味しい行列の店があるぞ!
- ホテルをとって夜討ち朝駆け
- 下北沢に1号店開店!
- アメリカの豊穣な食文化を日本へ~WDI誕生
- 一匹狼・本多の味の秘密
- 100店超のチェーン店の「手づくりオペレーション」
第7章 本多征昭物語、その3~早すぎる旅立ち
- チェーン店を勉強したい。妻と娘、親族への思い
- 1987年、ゴールデン・ウイーク明けの異変
- 本多との最後の会話
- 「スタジオジェニファー」オープンパーティー
- 葬儀、1988年7月21日、目黒区碑文谷圓融寺
終章
- 本多恵子・始まりは絶品カルボナーラから
- 理奈・夢に出てきてくれる父へ
あとがき
※一部、旧字体を変換しております。