本能寺の変 四二七年目の真実

本能寺の変 四二七年目の真実

光秀の子孫が解き明かす「本能寺」の謎、驚愕の真実!
本能寺の変は、信長による“家康討ち”だった!

── 大好評重版続々!

誰もが知っている「本能寺の変」には、誰も明確に答えられない7つの謎があった。
(1)謀反の動機は何か
(2)なぜ信長はあれほど無警戒で本能寺にいたのか
(3)なぜ光秀は本能寺の変をやすやすと成功させ得たか
(4)家康の安土城訪問と上洛がなぜ無警戒だったのか
(5)光秀は本能寺の変以降、どのような政権維持策を持っていたのか
(6)三河に戻り織田領を攻め取った家康に咎めがなかったのはなぜか
(7)秀吉の中国大返しが成功した理由は……?
著者は明智光秀の末裔にして、情報システム分野のベテランビジネスマン。
光秀の血脈が生涯かけて解き明かした真実に、読者は驚愕し、やがて深く納得する。

四六 判( 284 頁)
ISBN: 9784833419062

2009年03月09日発売 / 1,676円(税込)

[著]明智憲三郎(あけち・けんざぶろう)
本能寺の変に続く山崎の合戦の後、明智残党狩りの手を逃れた光秀の子、於寉丸(おづるまる)の血筋を引く。
1947年生まれ。72年に慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、三菱電機株式会社に入社。一貫して情報システム分野で活躍。現在、株式会社第一情報システムズ常務取締役を務める。
会社勤めのかたわら本能寺の変の研究・調査を続け現在に至る。明智光秀公顕彰会会員。土岐会会員。

目次はこちら(クリックで開きます)

目次

七つの謎──プロローグ

第一部 作り変えられた歴史

第1章 誰の手で史実は歪められたか

勝者が流布した偽りの真実
別にあった光秀の句
句だけでなく日付も改竄
天気が動かぬ証拠
信長像も意図的に脚色
尾ヒレをつけた軍記物
根拠のない朝倉仕官説
仕上げをした細川家記

第2章 通説とは異なる光秀の前半生

将軍義昭の幕臣名簿
義昭に随行し越前朝倉へ
知られざる藤孝に仕えた過去
上洛し幕府行政官として活躍
義昭を離れ信長のもとへ

第3章 作られた信長と光秀の不仲説

『信長公記』が記す親密な関係
信長への感謝と忠節
作られた信長との相克
抹消された事績

第二部 謀反を決意した真の動機

第4章 土岐氏再興の悲願

光秀が句に込めた願い
土岐一族の強固な結束力
土岐氏再興の盟主

第5章 信長が着手した大改革

織田家の長期政権構想
信長の中国征服計画
光秀を追い詰めた第二次構造改革

第6章 盟友・長宗我部の危機

利三兄弟と長宗我部の絆
光秀と元親の浅からぬ親交
もう一人の首謀者
逆臣・頼辰を匿った光秀
畿内・四国同盟に訪れた危機

第7章 衝撃の「家康潰し」計画

信長の脅威となった家康の存在
甲州遠征の真の狙い
「土岐桔梗一揆」の崩壊
謀反を決意させた足蹴事件

第三部 本能寺の変は、こう仕組まれた

第8章 二つの企て

家康討ちの秘策
偽装された「信長の中国出陣」
一転「信長討ち」
信忠を同時襲撃しなかった理由
信長の最期の言葉
本能寺から脱出した黒人小姓
彌介が伝えた信長の最期
消息を絶った唯一の証人

第9章 信長が導いた謀反同盟

願ってもない同盟者
家康の異常なまでの無警戒
奇妙な日記の改竄
光秀が奏上した「家康との談合」
談合にいたもう一人の人物
藤孝が発した警告

第10章 家康の謎の策動

作られた「苦難の伊賀越え」
謀殺された穴山梅雪
東陣に全力
手間取った光秀援軍の進発
秀吉討伐軍を一旦は西進
イスパニア商人が残した証言
安土城炎上に伊賀者の影
誰からも咎められなかった家康

第11章 手際がよすぎる秀吉の「中国大返し」

準備されていた毛利との和睦
秀吉が待望した光秀決起
秀吉と藤孝の密約
藤孝への破格の論功行賞
名門細川家の総意
秀吉の卓越した情報操作能力
三者による秘密の封印

第12章 光秀の苦悩、そして滅亡

決死の企て
突如生まれた成功の可能性
成就するかに見えた謀反
狂いだした歯車
長宗我部元親の焦燥
光秀の子供の行方

第四部 新説を裏づける後日譚

第13章 フロイス証言の真偽

フロイスの「本能寺報告」
フロイスが頼った情報源
信長からイエズス会への情報提供
フロイス特有の偏向性

第14章 家康が遺した暗示

家康が行なった証拠隠滅
忘れなかった光秀への恩義
実現させた土岐氏再興
日光東照宮に込められた暗示

土岐一族の思い──エピローグ

謝辞
付録──[1] 本能寺の変「日表」 [2] 光秀「年表」
参考文献