[著]村田兆治(むらた・ちょうじ)
1949(昭和24)年、広島県生まれ。67年のドラフトで、東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)にドラフト1位で指名され入団。速球を武器にロッテのエースとして活躍、現役23年間で通算215勝を挙げる。全身を使って投げる独特なフォームは「まさかり投法」と呼ばれた。その後、右ヒジを痛め手術を行うも、約3年のリハビリを経て完全復活。登板日が日曜日になることが多く、「サンデー兆治」として話題をさらった。最多勝、最優秀防御率、奪三振王など数々のタイトルを取得後、90年2桁勝利を最後に40歳で現役引退。
その後は、離島の子どもたちへの少年野球教室をライフワークに、延べ100回以上訪問している。2005年、野球殿堂入り。13年、千葉ロッテマリーンズ対北海道日本ハムファイターズ戦で始球式に登板し、63歳にして135キロのストレートを記録し話題となった。
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まえがき 現役時代より今が楽しいと言えるように
序章 現役を引退してから続けてきたこと
- 体が硬くなると心も硬くなる
- 親の思いがこもった手紙
- 人に見られる喜び
第1章 まだまだ、現役には負けられない!
- 筋肉痛になってみませんか
- 「お前に腕をあげたいんじゃが」
- スピードガンは万能ではない
- イチローが、私に言ったひと言
- 味方のエラーもカバーする「エースの仕事」
- 投手が、打ち上げ花火を見上げる心理
- 娘を右腕で抱けなかった理由
第2章 今も、熱くなる、ムキになる
- 小学生相手でもムキになる
- 補欠だったS君の思い出
- 引退した選手同士の飲み会で
- 球場のビールの味は知らないが
- 1967年の夏、甲子園
- 無名の監督のもうひとつの野球人生
第3章 プロフェッショナルの条件
- 「江夏の21球」の印象と事実
- 「型」を身につけた投手と、そうでない投手
- 敬遠をするとき、しないとき
- 投手の「流し目」には、わけがある
- 途中から持ち直し、立て直す技術とは
第4章 密やかに、われ177回敗戦す
- 降板した投手は、ベンチで何を思うか
- 果たせない夢が、その先の自分をつくる
- 投手のローテーションを赤丸で自己申告
- スライド登板で、なぜ負けるのか
- 密やかに、われ177回敗戦す
第5章 チームの中で自分の役割を果たせているか
- 9つの風景と一流選手の視点
- 応援も時代とともに変わりゆく
- 自分を冷静に判断する技術
- 「犬のしょんべん」も「魅せるプレー」
- 犬のスピードで「生き急ぐ」選手たち
終章 逆境から、どう這い上がるか
- 好不調は「人の常」だが
- 「ハンディの神様」が降りてくる日
- 女房より優しい女房役
- 自分を高めるライバル、いますか?
あとがき