[著]野村 克也(のむら・かつや)
1935年京都府生まれ。京都府立峰山高校卒業。1954年、テスト生として南海ホークスに入団。3年目でレギュラーに定着すると、以降、球界を代表する捕手として活躍。1970年からは選手兼任監督となり、その後、選手としてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、西武ライオンズに移籍。1980年に45歳で現役を引退。27年間の現役生活では、1965年に戦後初の三冠王になったのをはじめ、MVP5回、本塁打王9回、打点王7回、首位打者1回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などのタイトルを多数獲得した。1990年にはヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。そのほか、阪神タイガース、東北楽天イーグルスで監督を歴任。楽天ではチームを初のクライマックスシリーズ出場に導く。主な著書に、『弱者の流儀』(ポプラ社)他多数。
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まえがき
第1章◆ 「その他」から始まった人生
●戦国の歴史も、勝負の世界も人間ドラマ
●「ひもじさ」こそ、光秀と私を結びつける
●世に出るまでの長い道のり
●南海テスト生に合格
第2章◆ マルチな才能が開花、ダブル主君
●信長にその才能を認められた光秀、四十一歳の光明
●信長の家臣、義昭の近臣
●葛藤の中で成果をあげる
●残虐非道の比叡山延暦寺の焼き討ちと光秀
●義昭追放と光秀の家臣団
●ライバルは互いの身を助く
第3章◆ 絶頂の四十代、疑心暗鬼の五十代
●丹波攻略こそ武将としての誇り
●丹波攻略の五年間で明智家臣団がよいチームに
●初めての挫折~天正五年の黒井城の戦い~
●天正七(一五七九)年八月、ついに丹波平定
●織田軍団の〝近衛師団長〟
●信長と光秀の蜜月時代
●光秀の心に忍び寄る「疑心暗鬼」の瞬間
●本質を知る、原理原則で考える
第4章◆ 「敵は我にあり」
●虚しき謀反の朝
●安土城での家康の饗応役
●本能寺の変
●六月二日から十二日までの、光秀の十一日間
●六月二日から十二日までの、秀吉の十一日間
●心ならずも、山崎の戦い
●そして、死